地元で親しまれる里山、三床山(みとこやま)は、緑に包まれた自然美だけでなく、江戸時代から続く採石の歴史を秘めています。山城跡や神社、四季折々の眺望とともに、**和田石採掘場跡(石切り場跡)**という文化財が残され、地域の暮らしや景観と密接に関わってきたことが窺えます。この記事では、石切り場の成り立ちとその跡地・アクセス・保存の取り組み・自然との調和について、最新情報をもとに詳しく紹介します。歴史好き・ハイキング好きの方にぜひ読んでいただきたい内容です。
鯖江市 三床山 石切り場の概要と位置
三床山は標高約279メートルの里山で、鯖江市の西部に位置し、地元では御床山とも呼ばれています。延喜式神名帳に記載された古社や山城跡としての遺構が残り、歴史と自然が融合した場所として知られています。
その麓、特に和田町地区には「和田石採掘場跡」があり、通称「石切り場跡」や「石間歩(いしまぶ)」と呼ばれる場所が複数あります。山の南東側の麓、栗屋谷を中心とした地域に位置し、大小含めて複数の採掘跡が散在しています。市の指定文化財として登録されており、その存在は単なる風景以上の意味を持ちます。山の基部は凝灰岩で構成され、その石材は「和田石」と呼ばれ、淡い鼠色・緑色を帯び、硬度は笏谷石と比べるとやや弱いものの、加工しやすさが特徴です。
和田石採掘場跡の範囲と構造
採掘場跡は、和田町三の和田地区・栗屋谷の下部に位置しており、大規模な区画が2ヶ所、小規模なものが7ヶ所ほど確認されています。また、天井の高さが15メートルを超える坑道空間や、露出した岩肌、切線や楔を使った切削痕など、旧来の作業方法が視覚的に残されています。
作業工程としては、まず切り線を引き、楔を打ち込んで割断する人力によるもの。そして機械化が進んだ明治以降には採石機を用いるようになり、切削面や断面の形状に変化が見えます。運搬のための道(石曳き道)や休憩施設の平場、小さな番屋などの遺構も痕跡として認められています。
三床山と石切り場の関係性
三床山の頂上部には山城跡の遺構があり、堀切や郭、虎口などが確認されています。この山城と石切り場の関係は地形と見渡せる石材の生産性から見て、山頂またはその近郊に資材を得る場所として選ばれた可能性が高いです。
実際に「石切り場跡探訪コース」が登山ルートに組み込まれており、和田コースの途中で石切り場跡に立ち寄ることができる時間や体力に余裕のあるルート設定がなされてきています。つまり、三床山そのものの風景と歴史体験が融合するような訪問体験が意図されています。
鯖江市 三床山 石切り場の歴史と役割
和田石の採掘は、貞享2年(1685年)ごろから始まったとされ、江戸時代中期から和田町周辺の集落と町場の構造物づくりに使われてきました。寺社、石垣、階段石、玄関敷石など、多岐にわたる用途で活用され、地域の景観や暮らしの基盤を支える資源でした。
大正時代から昭和初期にかけては、採石需要・技術共に発展し、作業者や運搬手段の数も増加しました。多くの石が日常的・建築的に使われ、和田石は地元での認知度も上がっていきました。しかし、コンクリート等の新素材が普及したことにより、採石の需要は次第に低下し、最終的には昭和42年に採掘場としての機能は停止されました。
採石の始まりと発展
採石の始まりは江戸期の中期、地元建築物や街道整備のための需要が高まったことが動機となっています。寸法の「尺六」や「五六」と呼ばれる規格で石を切り出し、建築基礎・石垣・敷石などに重用されたので、地元の石工技術も発展していました。
最盛期の採石方法と経済的影響
明治~昭和にかけては機械化が進み、運搬や切削の効率化が図られました。人力だけでなく機械が導入されたことで生産量が上がり、地域の建設需要にも応えることができた時期です。また、採石業者や石切りの作業場が地域雇用を支え栄えており、採石場は地元住民の生活に密接な役割を果たしてきました。
採石場の廃止と遺構としての保存
採石場の事業は、コンクリート等代替材の普及、建築スタイルの変化、価格競争などの影響を受け、最後は昭和42年に正式に採掘が中止されました。以降は自然の中に放置されていた部分もありますが、遺構としての保存価値が再評価され、説明板の設置や文化財登録、探訪コースへの統合等が進められています。
アクセス方法・探訪ルートとみどころ
石切り場跡を含む三床山へのアクセスにはいくつかのルートがあり、それぞれ得手・不得手があります。目的がハイキング中心か、遺構探訪かで選択が異なります。
公共交通機関でのアクセスは限定的であるため、自家用車で登山口付近へ向かうのが基本です。山道途中に案内表示や看板が整備されており、市が発行する「三床山おでかけMAP」などを活用すると迷いにくく、より安全です。
主な登山ルートと石切り場関連箇所
石生谷林道コース
舗装路~山道の緩やかなルートで、登山口の駐車場(約20台)から山頂まで約45分。石切り場跡に直接アクセスするにはルート変更や下山後の散策が必要です。
石生谷トンネルコース・佐々生コース・漆原コース・西大井コース・和田コース
中でも和田コースは石切り場跡と近接。登山口から往復で約1時間30分ほど、石切り場を休日の日帰り体験として含めるのに向いています。
駐車場・トイレ・所要時間の目安
駐車場は石生谷公民館横や和田公民館などにあり、それぞれ収容台数は10台~20台程度。登山口によっては駐車スペースが小さく、混雑する場合がありますので早朝が安心です。トイレは一部登山口(佐々生・公民館付近)にありますが、山頂および途中の休憩所には基本的に設置されていません。
所要時間の目安としては、石生谷林道コースで登り約45分、往復2時間から2時間半を見込みます。和田コース経由で石切り場跡を含める散策をするなら1時間30分~2時間強が目安となります。体力や装備に応じて無理のないプランを立てることが大切です。
自然と景観のポイント
春の新緑、桜、秋の紅葉、雪景色、遠望の白山や越前五山など、四季の変化が著しい風景が楽しめることがこの山の大きな魅力です。晴れた日には市街地から遠く白山連峰まで見通せます。加えて、採掘跡の岩肌・露頭・切削跡など人工の造形が自然と重なり合い、地形の美しさを強調しています。
保存活動と訪問者への配慮
石切り場跡は単なる遺構ではなく、地域の文化財として市が指定文化財の認定を行っており、遺構の保存・整備・案内表示の設置が進められています。地元の住民グループ「三床山を愛する会」などが、春の山開きイベントや古里をのろしでつなぐ集いなど、地域参加型の活動を継続しています。
訪問者側も遺構を傷めないよう配慮することが求められています。立入禁止区域には入らない、岩や植物に不要な手を加えない、ゴミを持ち帰るなどのマナーが大切です。また、足場が崩れやすい場所や暗い坑内、斜面などでは十分な装備と注意が必要です。
保存・活用の具体的取り組み
説明板や看板の設置、登山道との整備ルートへの接続、遺構見学ポイントの明示などが実施されています。また文化財指定により和田石採掘場跡は市から保護の対象となっており、修復・風化防止などの維持管理が進行中です。
現地訪問の注意点と服装・装備
歩きやすい靴(滑り止め付き)、十分な飲み物、雨具を備えることが推奨されます。坑道や露頭部分は足元が不安定であり、柵やロープによる規制区域がありますので、それを守ること。携帯電話の電波は場所によっては不安定です。天候の急変にも備えて早めの行動を。
ベストシーズンと時間帯
春(新緑・桜)、秋(紅葉)、冬の雪化粧などが風景の見どころです。特に紅葉期は訪問者が増えるため、混雑を避けるなら午前早めをおすすめします。展望を楽しむなら晴天日が望ましく、早朝や夕方には山肌と影のコントラストが美しく映えます。
まとめ
三床山の石切り場跡は、自然と人工が響きあう場所です。山城跡の遺構や展望、そして和田石採掘の歴史を刻む石切り場のなめらかな切削跡や運搬路などは、訪れる人々に深い感動と学びを与えます。
歴史好きには江戸時代の石工技術と産業の姿、自然好きには四季折々の眺望や植物・山林の営みに心を打たれるでしょう。アクセスは自家用車が便利で、登山ルートや所要時間を計画し、服装と装備を整えることが大切です。訪問時には保存の観点から遺構を尊重し、自然環境と共生する姿勢を持って足を運んでほしい場所です。
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